九博で開催中の特別展に行きました。
印象に残ったものについて、箇条書きで感想を書きます。
その1 銀錯銘大刀と金錯銘鉄剣
なんといっても今回のハイライト!
両刃と片刃なことや銘の位置など、実際に目にして見比べると、違いが実感として迫ってきました。
出土したときは赤錆だらけだったでしょうに、よくこんなにきれいにできるものだなーと感心。図録などで知っていても、やっぱり実物は迫力ありましたね~。
下の画像の向かって右が大刀、左が剣のケースです。大刀は横にして、剣は立てて展示されてます。「刀」と「剣」の違いが視覚的にもわかりやすくなってました。
↓
両者の間に立つと、これを東西に分けて与えた大王の気分になりました。(ウソ)
銀錯の馬と鳥と魚もしっかり見ることが出来ました。
↓
その2 貝符
広田遺跡の貝製品は、本当に見飽きることがありません。
今回は、有名な腕輪は措いておいて貝符に注目。
とても細かく模様が彫ってあって可愛いんです。
このうねうね模様、饕餮文にも似てるといわれてるそうです。
でも、はっきりとした由来はわからないとのことでした。
形や大きさに上野原遺跡の異形石器と通じるモノ(おまじない?)を感じたのだけど、
気のせいかな。
中にこういう形のモノがありましたよ。
↓
子持ち勾玉っぽくないですか?
その3 金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡
これは鉄鏡なんですね。銅じゃなくて。
しかも金・銀・珠で装飾されていて、破格というかなんというか。
当時の輝きを想像するに、正倉院にある宝飾鏡のような感じだったのかなぁと思いました。
そんな鏡を誰がいったい何のために、そしてどうやって?日田まで運んだのでしょうねぇぇ。(←奴国王関係者とか、密かに落ちのびてきた公主とか。笑)
すごい謎。
↓
実はこの鏡、肥後象眼の技法で復元されたレプリカが日田にあるんです。
ひっそりと(失礼!)置いてあるので、「え?これ?」と思っちゃいましたが、
肥後らしい黒地に金が映えて綺麗でしたよ。
そしてそして。
さらにCGで全体を想像された方がいらして、動画があったので貼っておきますね。
この動画自体が素晴らしくて、感動するんです。
とっても美しいです~。
↓
<object width="425" height="344"><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/OOT4kyggvfw&hl=ja_JP&fs=1&" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>
その4 銅鐸
矛・矛・矛+剣・剣+鏡・鏡・鏡の中で、ありました。吉野ヶ里遺跡の銅鐸。
九州には本当に銅鐸ってないんですね。
次に九州から出るとしたらどこかな?
その5 盾持ち武人埴輪
「南九州の武人」と赤字に白抜きの文字で書かれている部分に円筒形の埴輪があるの、わかるでしょうか。左に頭が置かれています。
↓
この武人は「隼人」ということでいいのかな。
都にこういう武人達が集団でいたら、さぞ勇壮な光景だっただろうなぁと思いました。(そんな話を「九州街道物語」というローカル番組でやってたんです。)
↑
ヤマトに破れた後、その勇猛さを買われて皇族の「近習」として仕えたのだそうです。天皇即位の際は、必ず隼人が側に侍していたという内容でした。11/28 付記
その6 古墳を飾る
装飾古墳が楽しいのは、図に想像をかき立てられるところでしょうか。
異世界の入り口のような、そんな感じさえしますけれど、妄想しすぎ?
磐井の乱を境に装飾古墳が登場するそうですが、それだけなのかなぁと思います。
遠い地域のモノとの共通点や、逆に近いのに全く違う図柄だったりするのは、どう説明されているのでしょう。
石人石馬を見ていたら、「大王の棺」実験航海を思い出しました。
古墳時代にわざわざ石棺を熊本から近畿に運んだというのも、不思議な話ですよね。
この時代って、本当に面白い!
その7 アジアと古代九州
最後の最後に面白いパネルがありましたよ。
「アジアの中の邪馬台国」とあって、国際情勢に敏感な国があったことがポイントなのだという内容だったと思います。
↓
古代九州のクニグニは多かれ少なかれそう言う面を持っていたのではないのかなぁ・・・と今回の展示で素人考えながら思いました。
それは統一国家対統一国家レベルのものから、部族対部族レベルまであったのでは?なんて。
海の向こうでもまた、入れ替わり立ち替わり国が興っていたのですから。
最後にひと言。
「陶磁の道とキリシタンの足跡」というテーマは、これで終わるのはもったいないです。
独立したテーマとして是非特別展でやってほしいなぁと思いました。。。
天正遣欧使節だけでも、結構内容あると思うんですけど。
第一部で一番人気だった有馬晴信の(と言われている)クルス、ケースの前の人垣が途絶えるのを待ちながら思ったことでした。
印象に残ったものについて、箇条書きで感想を書きます。
画像はぶろぐるぽにエントリーすることで博物館から提供していただいたものです。
その1 銀錯銘大刀と金錯銘鉄剣
なんといっても今回のハイライト!
両刃と片刃なことや銘の位置など、実際に目にして見比べると、違いが実感として迫ってきました。
出土したときは赤錆だらけだったでしょうに、よくこんなにきれいにできるものだなーと感心。図録などで知っていても、やっぱり実物は迫力ありましたね~。
下の画像の向かって右が大刀、左が剣のケースです。大刀は横にして、剣は立てて展示されてます。「刀」と「剣」の違いが視覚的にもわかりやすくなってました。
↓
両者の間に立つと、これを東西に分けて与えた大王の気分になりました。(ウソ)
銀錯の馬と鳥と魚もしっかり見ることが出来ました。
↓
その2 貝符
広田遺跡の貝製品は、本当に見飽きることがありません。
今回は、有名な腕輪は措いておいて貝符に注目。
とても細かく模様が彫ってあって可愛いんです。
このうねうね模様、饕餮文にも似てるといわれてるそうです。
でも、はっきりとした由来はわからないとのことでした。
形や大きさに上野原遺跡の異形石器と通じるモノ(おまじない?)を感じたのだけど、
気のせいかな。
中にこういう形のモノがありましたよ。
↓
子持ち勾玉っぽくないですか?
その3 金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡
これは鉄鏡なんですね。銅じゃなくて。
しかも金・銀・珠で装飾されていて、破格というかなんというか。
当時の輝きを想像するに、正倉院にある宝飾鏡のような感じだったのかなぁと思いました。
そんな鏡を誰がいったい何のために、そしてどうやって?日田まで運んだのでしょうねぇぇ。(←奴国王関係者とか、密かに落ちのびてきた公主とか。笑)
すごい謎。
↓
実はこの鏡、肥後象眼の技法で復元されたレプリカが日田にあるんです。
ひっそりと(失礼!)置いてあるので、「え?これ?」と思っちゃいましたが、
肥後らしい黒地に金が映えて綺麗でしたよ。
そしてそして。
さらにCGで全体を想像された方がいらして、動画があったので貼っておきますね。
この動画自体が素晴らしくて、感動するんです。
とっても美しいです~。
↓
<object width="425" height="344"><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/OOT4kyggvfw&hl=ja_JP&fs=1&" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>
その4 銅鐸
矛・矛・矛+剣・剣+鏡・鏡・鏡の中で、ありました。吉野ヶ里遺跡の銅鐸。
九州には本当に銅鐸ってないんですね。
次に九州から出るとしたらどこかな?
その5 盾持ち武人埴輪
「南九州の武人」と赤字に白抜きの文字で書かれている部分に円筒形の埴輪があるの、わかるでしょうか。左に頭が置かれています。
↓
この武人は「隼人」ということでいいのかな。
都にこういう武人達が集団でいたら、さぞ勇壮な光景だっただろうなぁと思いました。(そんな話を「九州街道物語」というローカル番組でやってたんです。)
↑
ヤマトに破れた後、その勇猛さを買われて皇族の「近習」として仕えたのだそうです。天皇即位の際は、必ず隼人が側に侍していたという内容でした。11/28 付記
その6 古墳を飾る
装飾古墳が楽しいのは、図に想像をかき立てられるところでしょうか。
異世界の入り口のような、そんな感じさえしますけれど、妄想しすぎ?
磐井の乱を境に装飾古墳が登場するそうですが、それだけなのかなぁと思います。
遠い地域のモノとの共通点や、逆に近いのに全く違う図柄だったりするのは、どう説明されているのでしょう。
石人石馬を見ていたら、「大王の棺」実験航海を思い出しました。
古墳時代にわざわざ石棺を熊本から近畿に運んだというのも、不思議な話ですよね。
この時代って、本当に面白い!
その7 アジアと古代九州
最後の最後に面白いパネルがありましたよ。
「アジアの中の邪馬台国」とあって、国際情勢に敏感な国があったことがポイントなのだという内容だったと思います。
↓
古代九州のクニグニは多かれ少なかれそう言う面を持っていたのではないのかなぁ・・・と今回の展示で素人考えながら思いました。
それは統一国家対統一国家レベルのものから、部族対部族レベルまであったのでは?なんて。
海の向こうでもまた、入れ替わり立ち替わり国が興っていたのですから。
最後にひと言。
「陶磁の道とキリシタンの足跡」というテーマは、これで終わるのはもったいないです。
独立したテーマとして是非特別展でやってほしいなぁと思いました。。。
天正遣欧使節だけでも、結構内容あると思うんですけど。
第一部で一番人気だった有馬晴信の(と言われている)クルス、ケースの前の人垣が途絶えるのを待ちながら思ったことでした。
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| Museum::九州国立博物館 |2009年11月26日({XT_LOG_JDAY})| comments (0) |
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