当事者ならではの書状や記録、当時の姿を残す伝世品の数々が素晴らしい展示でした。
個人的に印象に残ったものについて、感想を書いていきます。
画像はぶろぐるぽにエントリーすることで博物館から提供していただいたものです。
その1、守護天童像 と永源記
細川頼之の夢に出てきて、和歌を口ずさみつつ舞い家運隆盛を告げたという童子の像。
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「夢のお告げ」「神異の現れがこども」「和歌 (の功徳?)」といったモチーフが中世説話を感じさせて、この時代から続いている家系ならではの逸話だと思いました。
この像、はじめは京都の地蔵院に祀られていたのがいつの間にか細川家に来たのだそうです。
幸運を運ぶ家付きのザシキワラシみたいですね。(#^.^#)
守護天童像の次に展示されていたのが「永源記」。
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(「九州道之記」と似ているので、画像が間違ってたらごめんなさい。)
私は、足利政権下の細川氏から肥後藩主細川氏への流れがわかっていないのですが、それでも時代が下って関係性も薄れていたことは想像できました。
天文年間に細川家から永源庵に預けられたものが、延宝年間に返されるというのはちょっと不思議な話です。
両者をつないだのが永源庵だったのですね。
江戸時代、各藩ご先祖探しが行われたようなので、そういう中での出来事だったのかなと想像しました。
夢の童子と永源記、なんだか細川家の原点を見ているような展示で興味深かったです。
その2、細川ガラシャ消息と霜女覚書
会期はじめに一度見に行き、ガラシャ夫人が忠興に宛てた消息も見ました。
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洗礼名での署名がある唯一のものだそうです。
長年疑問に思っていた表記は、ひらがなで「からしや」でした。
霜女覚書も一緒に展示されていたのですが、語り口に臨場感があってなんとも生々しい印象を受けました。読むものに真実だと思わせる迫力があり、事実がどうであれ、こういう事だったのではないかと思いました。
その3、九曜紋鐘
名だたる武具が並ぶ中、「あらっ」と思ったのがこれ。
形がほら。ベルですよ。
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忠興は小倉に教会を作ったそうなので、その時のものだろうということです。(ちょっとうろ覚え。)
その後の忠興の行動を思うと、鋳潰されずによく残っていたと思います。
ちょうど4階の交流展示室にも「サンチャゴの鐘」が展示されていて、キリシタンの拠点だった九州のことを思いました。
その4、茶入茶碗写真帖
茶道具の名品が並ぶ中、ふと目に入ったのがこの写真帖でした。
画像がないのですが、その緻密さにびっくり。
全部を見てみたいです。
その5、護立コレクション
金銀錯狩猟文鏡 を楽しみにしていました。美しかったです。そして思っていたより小さかった。
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(持ち主、というか被葬者は誰だったのでしょう。そこが気になりました。)
三彩宝相華文三足盤 唐三彩のイメージが変わります。模様が細かい上にくっきりはっきりしていて。釉薬が混ざらないようにされているとのこと。その細かさにびっくり。
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(魚子模様はハジキで描いてる?なんて。)
月白釉紅斑文盤 紅い部分に動きが感じられて好きです。
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これ以外にも、ほんとうにたくさんの名品があって、特に茶道具に感動しました。
中山肩衝があったのも嬉しかったし(わざわざ入れてくださってありがとうございます!)、近・現代コレクターの収集品とは違う、伝世品ならではの感動がありましたよ。
細川家の至宝展、堪能しました。よかったです。
九州国立博物館の川畑と申します(細川展を担当しておりました)。
ブログでのご紹介、ありがとうございました。
すでに展覧会は、3月上旬に終わってしまったのですが・・・皆様のブログ拝見しておりましたら、ご返信し損ねていたことに気づきました・・・すみません。
細川展で出陳させていただいた作品も、無事にご所蔵者様にご返却が済み、担当学芸員としての仕事も終えることができました。
九博にお出でくださり、展覧会をご覧いただいた皆様には、心より感謝申し上げます。
中山肩衝を「わざわざ」入れていたこと!お気づきいただいて、ありがとうございます。
堂々とした風格ある茶入ですよね…喜んでいただけてよかったです。
今、九博は平山展です。とても面白い展覧会に
コメントいただいてたことに気づくのが遅れてすみません。
>中山肩衝を「わざわざ」入れていたこと!お気づきいただいて、ありがとうございます。
中山肩衝のエピソードを知っている人であれば「あれっ」と思ったことでしょう。
三斎様も喜んでいらしたのではないでしょうか。